電話セッション・Case Study<5> 〜大丈夫の本当の意味
その電話は九州にお住まいの女性からのお電話でした。
ご予約日の前日からもうすでにその女性からの波動が伝わってきていました。
きっと深い悲しみをお持ちなのだろうと思っていました。
そしてお電話セッションのお時間キッチリに、まるで待ちかねていたかのように彼女からの電話がかかってきました。
その女性はJさんといます。
Jさんのお話によると15歳の息子さんが最近不登校になり、そして家の中でも部屋に引きこもり、ずっと布団の中にもぐりこんでいるとのこと。
いくら話しかけてもただ「体がだるい」としか言わないようで、同居している祖父母も跡取りである長男がこんな風になり、商売での跡を継ぐものがいなくなるのではととても心配しています。
もう一人妹がいて同じように育てているはずが、何故この子だけこんなことになるのでしょうか?
ここまでお話をお聞きたものの、私はJさんの心のもっと深い悲しみをどうしても流すことができませんでした。
めぐみ:「そうですか、それはとてもご心配ですね。」
「そのことに関してはあとからじっくりと視せていただきますが、Jさん何かそのこと以外でも、Jさんの深い悲しみが伝わってくるのですが・・・・・
それとどこかに水子さんはいらっしゃいませんか?」
Jさん:「・・・・・・」
Jさんはどうやらお電話の向こう側で泣いていらっしゃるようでした。
Jさん:「10年前に3歳の息子を白血病で亡くしました・・・・
この子のことは一日も忘れたことはありませんが、今はやはり子のこのお兄ちゃんである
今、不登校になっている息子のご相談をと思いました・・・」
めぐみ:「お辛いことを話させてしまってごめんなさいね。
でも今日はちょっとこのことから、お話をしていく必要がありそうです。
当時のお辛いことを思い出させてしまうかもしれませんが、出来る範囲で無理なくでいいので 少しそのころのお話を聞かせていただいてもいいでしょうか?」
Jさん:「聞いていただいていいんですか?ありがとうございます。
あの子は3歳の時に亡くなりましたが、1歳半くらいから病気とのたたかいでした。
小さな身体に何度も注射をされ管を通され副作用のキツイ点滴をうたれ・・・・
いつも私や先生、看護師さんが大丈夫よ!大丈夫よ!と声をかけていたせいか、その子が始めて話した言葉が「大丈夫」でした。
本当にただ苦しむためだけに産まれてきたかのような短い命でした。
今も「大丈夫」というあの子の言葉が耳から離れません。
そして小さいながらも注射をすると治ると思っていたのか、泣いても無駄だと思っていたのか、
先生がくると「はい」と言って自分から小さな手を差し出し「大丈夫」って言っていました。
その小さな手にはもう点滴の注射の針が通らなくなり最後の方には顔のこめかみの部分に点滴の針を通していました。
それでもあまり泣くこともなくあのけなげな姿が不憫で・・・・・
あの子は今ちゃんと成仏できていますか今どうしているのでしょう・・・」
めぐみ:「大丈夫ですよ、今はもう苦しむことも痛がることもなく、ちゃんと天国にいます。
そしてお母さんにとっては3歳のままでしょうが、天国でしっかりと13歳に育っていますよ。」
Jさん:「あ〜それをお聞きして本当に安心しました。
今も苦しんでいるんじゃないだろうか、 寂しがっているんじゃないだろうか、ずっとそればかりが心配でした。」
めぐみ:「そしてね、その子が言っています。お母さんもうミルクはいらないよって。」
Jさん:「そうなんですかずっと食事がほとんどとれず ミルクを飲ませていましたが、その大好きなミルクももう飲めなくなり、きっと飲みたかっただろうと今もミルクと哺乳瓶をお供えしてました。
そうですよね、もう13歳ですものね。」
そう言ってお母さんは少し笑っておられました。
でもきっとお母さんにとってあの時のまま、その子との時間はとまっていたのでしょうね。
めぐみ:「Jさん、その子が入院している間、お兄ちゃんはどうされていたのですか?」
Jさん:「下の子についていてやりたかったので主人と私はほとんど病院へ行っておりました。
ですので今は同居していますが、その頃は少し離れた所へ暮らしていた主人の両親へ、お兄ちゃんは預かってもらっていました。
状況をよく分かっていたのか、また祖父母にも可愛がってもらっていたため、お兄ちゃんも母である私の後をおうことも泣くこともなく賢くしていてくれました。」
めぐみ:「それでは視せていただきますので、そのまましばらくお待ちください。」
Jさん:「お願いします。」
めぐみ:「今、不登校で引きこもっているお兄ちゃんはすごく疲れています。
と言っても何かをして疲れているという訳ではなくストレスで疲れきっているのが視えます。
特に体が悪いわけでもないのに 「体がだるい」というお兄ちゃんの言葉を聞いても、納得できないかもしれませんが本当に体がだるく重く動きたくない、そしてこの状態では本当に動けないはずです。」
Jさん:「何故でしょうか?特に家で何か手伝わせているわけでもなく心配かけているわけでもなく、亡くなった子のことで皆が落ち込んだり家族がもめたりしていることもありません。
むしろ祖父なんかは小さい頃から育ててくれたこともあり、目の中に入れても痛くないほど可愛がってくれ、今だに一緒にお風呂にはいったりして息子の身体を洗ってくれてり話をしてくれています。」
めぐみ:「下のお子さんのお見舞いにお兄ちゃんは連れて行かれましたか?
きっと行かれていないと思います。
それも事情がおありだったとは思います。
そして心配をかけまいとお兄ちゃんに、あまり弟さんのお話はしておられませんよね。
ただ入院してるとしか・・・・
お兄ちゃんには弟がそんなに悪い状況だとは分かりませんので、きっとお父さんとお母さんは弟の方が大切で弟にばかり会いに行っている、だから自分は見捨てられてしまったかのように感じていたようです。
また祖父母はお兄ちゃんを預かった責任感から、怪我をさせてはいけない風邪をひかせてはいけないと
お兄ちゃんの行動一つ一つに、これはダメこうしなさいと、お兄ちゃんは自分の思いで何一つ選択行動することができなかったようですね。
もう暑くなりだしところ友達は半そでを着ていても、お年寄りであるおじいちゃん達の感覚でまだ寒いからと
長い袖の服しかきられず恥ずかしい気持ちでいる姿が見えてきます。
大人にとって何でもないことが子供にとっては辛いことだったりするものです。
本当はお爺ちゃんの愛情がお兄ちゃんにとって重かったようです。
今もそれは同じようで「おまえは跡取りだ跡取りだといわれるたび窮屈になっているのを感じます。
それがお兄ちゃんの”だるさ”の一つの原因のようです。
そしてお母さんもう一つ視えてくるものがあります。
お兄ちゃんは弟さんが亡くなられて時に泣きましたか?
ぐっと泣くのを我慢している姿がみえます。
それと・・・・・恐怖感。」
Jさん:「弟の最後の方は吐血そして顔もむくみ、とても痛々しい姿でした。
その姿を見て驚くといけないと思い、お兄ちゃんはほとんどお見舞いにはつれて行きませんでした。
なので兄弟といっても過ごす時間が少なく、そんなに悲しみなかったようで泣きませんでした。」
めぐみ:「お母さん、お兄ちゃんは入院する前の可愛い弟に会えるのをずっと待ち望んでいました。
弟さんが帰ってきたらこんなことをして遊んであげよう、このおもちゃをあげようと、とても楽しみにしていたのを知っていますか?」
「けれど帰ってきた弟さんは、お兄ちゃんの覚えてた頃の弟さんではなかった・・・
顔は浮腫み紫色になり・・・
お兄ちゃんにとってはその弟さんの姿が怖かった・・・・
けれど泣きくづれる大人達、そしてやっと帰ってきた我が家での父と母に弟が怖いだなんて言えず、また弟を怖いと思っている自分の感情に苦しみ悩んでいる。
たった一人でその気持ちを感じている5歳のお兄ちゃんの張り裂けそうな心の痛みを感じます・・・・」
Jさん:「亡くなった下の子の不憫さばかりを考え、生きているあなたは幸せなのよと、
お兄ちゃんの痛みなどまったく気づいてあげることはありませんでした。
お兄ちゃんが弟の姿を見たとき私に ”大丈夫”と言っていたのできっと平気なんだとばかり思っていました。」
めぐみ:「お母さん、今お兄ちゃんは15歳になっていますが、お母さん達と離れてたころの寂しさ、元気になった弟と遊ぶことを待ち望んでいたことが叶わなかった弟とのお別れ、そして変わり果てた弟の姿が怖かった辛さ、その頃泣くことができなかった涙を、一度思いっきり流させてあげる必要があります。
今からでも遅くはないです。
お布団の中にもぐりこんだままのお兄ちゃんの側で
お母さん・・・・
おじいちゃんではなくお母さんが
「あの頃寂しい思いをさせてごめんね」と一度言葉に出し謝ってあげてください。
そして「本当はもっと弟に会いに行きたかったんだね」と言ってあげてください。
そして!一番大切なことは、亡くなった弟の姿を見て怖くなってもそれは何にも悪くない。
元気な頃しか見ていなくて次に会ったら死んじゃってたんだから、そう思うのは仕方がないこと。
そこに気づいてあげられなかったことを謝ってあげて、お布団の上からでいいので、ずっとその辛さを誰にも言えず一人耐えてきた、その身体をさすってあげてください。
メッセージをお伝えします。
3歳の弟さんが最初に覚えたことば「大丈夫」は自分に言っている言葉ではなく、辛い自分を見守ってくれているお母さんへの大丈夫だったのです 。
そして
弟さんが亡くなった時
お兄ちゃんが言った「大丈夫」も自分のことではなく辛そうにしているお母さんへの大丈夫だったのです。
この2人の兄弟は一緒に過ごす時間は少なかったですが母を思う優しい同じ心を持つ母親思いの兄弟です。
天国の弟さんが
「母さん僕は短い時間だったけど母さんを独り占めできて幸せだったよ。ありがとう。
お兄ちゃん僕の写真大切に机の引き出しに持ってくれてるんだね。お兄ちゃん大好きだよ。」
と言っています。
きっと泣くだけ泣いたら、お兄ちゃんは元気に登校される日が来ることでしょう。
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